その前に、
モスクワが古い年代記に初めて登場するのは1147年。
この地にクレムリン(城塞)が築かれたのが1156年。
この頃のモスクワは、ウラジーミル・スーズタリ公国の周辺地にすぎなかった。
1237年にはウラジーミル公国はモンゴル軍に陥落し、モンゴル帝国後裔のキプチャク・ハーン国の支配に置かれる。
いわゆる「タタールの軛」の下の時代に入る。
継いだイワン1世はひたすら恭順の意を示し、ルーシ(ロシアの古い名?)諸侯からの徴税請負人の地位を認められその上前をはねるなど狡猾な手段で勢力拡大に努め、カタリ(財布)とあだ名された。
キエフもモンゴルに陥落しギリシャ正教の大主教府はエラジーミルに逃れたが、イワン・カタリ治世時に府主教ピョートルをモスクワに迎え大主教府をモスクワに移した。
ピョートルの聖骸が発見された跡に現在のウスペンスキー大聖堂がある。
このことでモスクワの意義が高まり、モスクワ大公国を名乗る。
15世紀後半イワン大帝(3世)の時に現在のクレムリンが造られた。
イワン大帝は崩壊寸前のキブチャク・ハーン国を併合し、全ルーシも統合して首都をモスクワとした。
その後、後継争いや飢餓、農民反乱などあり、それに乗じてポーランド軍がクレムリンを占拠したりしたロシアの暗黒時代がある。
ポーラント軍に勝利したロシア義勇軍らの動きで、ロシア全国会議がミハイル・フョードロヴィチ・ロマノフを皇帝に選んだ。
ロマノフ王朝の幕が開いた。
1712年、ロシアの後進性に嫌気がさしたピョートル大帝がセント・ペテルブルグに遷都した。
モスクワはその後は政治と離れて優雅な貴族文化や町人文化が栄えた。
ナポレオンの侵攻にあうが結局は勝利するくだりは、トルストイ著『戦争と平和』に表わされている。
20世紀に入り、第一次世界大戦時1917年にロシア革命が勃発し、レーニン率いるボリシェビィキによりソビエト政権が誕生。1918年モスクワを首都にもどした。
1991年にソ連が崩壊し、新しいロシア連邦の首都としてモスクワは今日ある。
さ、クレムリンへ向かいましょう。
ロシアの列車をバスの窓からバチリ。
とても長ーい連結です。シベリアあたりまで行くのかな。
高層アパート。
外に出ているのはエアコンの室外機?
旧KGBの建物。今は何
クレムリンの外壁が見えてきました。
左側は何? 右側はポクロフスキー聖堂
外務省?
ニューヨークの摩天楼にコンプレクスを抱いていたスターリンが、モスクワ800周年記念に1950年代に建てた7つの建物のひとつ。スターリン・クラシック様式と言われ、7姉妹または七つのウエディング・ケーキと愛称されているものの一つ。
左手はモスクワ川が流れる。
クレムリン外壁。
クレムリンの中へ
クレムリンに入るべく長蛇の列。
ボロヴィツカヤ塔の観光用入り口から。
ロシアはなんか情報に関して不可解な国。
6月22日は国をあげての大変な日なのだ。
第二次大戦時ドイツとソ連は不可侵条約を結んでいたのに、それを1941年6月22日ドイツ・ナチス軍が破ってソ連に侵攻してきた日、記念日なのだそう。
国を挙げて、特に軍や警察その他の功労者が表彰を受けるらしい。
クレムリンへの招待者も多いらしい。
毎年の事だから知っていそうなものなのに、ガイトさんは何も知らされていないと、午前中クレムリン見学は予定に組まれていた。
そして私たちが見学し終わって出てきたら、午後は閉鎖されていた。
「午後の予定の人たちはキャンセルだね」と、ガイドさんは得意顔。
「だって、そんなこと分かっているんじゃないの」とわたし。
「政府から、何所で何が行われるか事前には全く知らされないのだ」と、ガイドさんはすまし顔。
列に並びながら、外壁の中の武器庫やウスペンスキー大聖堂の屋根かな、を望む。
列にかわいい子供達が並んだ。
ロシアは夏休みは6月〜8月までだったか、とにかく3ヶ月。
少年見習い兵の優等生達が招待に預ったのかな。
写真を撮ってと、とてもお茶目さんたちです。
サルビアと雀たち。
ポロヴィツカヤ広場。
立派な外壁。
こうして外壁がクレムリンをぐるりと囲んでいます。
高い塔の上には星のマークがついています。
隣の入り口。
何故かこちらはやっていません。われわれは長蛇の列なのに。
要人の入り口かな。
われわれの入り口のさらに右側の入り口からは、要人を乗せた車が出入りしていました。
厳重なチェック、バックの中も、を経て、
漸く中へ。
入って直ぐに武器庫がある。
どうも外観を撮らなかったらしい。慌てていたかな。
いずれ凄い大きな王宮のような建物でしたよ。
19世紀、鎧や兵器を製造保管する武器庫として建てられたが、
ニコライ1世により博物館とされた。
実際に歴史的博物館で、王冠や王の帽子、宮廷馬車、王の衣装、外国からの贈り物、戦利品などなどが豪華に展示されている。
その一画がダイヤモンド庫。
ダイヤモンドなどの宝石の原石から、高価で華麗な王室ゆかりの宝飾品の煌めくばかりの展示。
中でも、エカテリーナ2世の愛人オルロフがエカテリーナに贈った大きなダイヤモンド"オルロフ"は有名。
残念ながら、庫内は全て撮影禁止、というか、カメラの持ち込みが禁止。
外へ出て、クレムリン散策です。
クレムリン大宮殿
ロシア連邦大統領府
聖堂広場にゆきます。
グラノヴィータヤ宮殿に隣接するブラゴヴェシチェンスキー聖堂。
グラノヴィータヤ宮殿
イワン大帝時代の建物としては教会を除けばクレムリンで唯一現存。
ブラゴヴェシチェンスキー聖堂
イワン大帝の命により1489年に建立完成。
1547年火災にあい、イワン雷帝により拡張修復された。
ブラゴヴェシチェンスキー聖堂。
ウスベンスキー大聖堂
イワン・カタリ公により建設されたが、1474年の地震で倒壊した後1479年に再建された。
ロシア国教の大聖堂とされ、ロシア皇帝戴冠式が行われ、モスクワ総主教の葬儀が行われた。
ウスベンスキー大聖堂。
南口扉上の見事なフレスコ画、17世紀に描かれた。
イワン大帝の鐘楼
1508年に本体が、1543年に八面体の鐘楼が付いて完成。
ナポレオンがモスクワから敗退するとき爆破を命じたが、鐘18箇は残った。
鐘楼の高さは81m。
当時これ以上高い建物の建設は禁じられていた。
パトリアーシェ宮殿。
ロシア正教の総主教の宮殿
左がウスペンスキー大聖堂、右奥がパトリアーシェ宮殿
パトリアーシェ宮殿
鐘の皇帝
1735年に重さ200tの世界最大の鐘を製作。
制作中火災が発生し、冷水をかけたのでひび割れてしまった。
欠けた部分だけで11t。
一度もなったことのない鐘の皇帝。
背景は大統領府。
表面にはロマノフ王朝の面々が描かれている。
大統領官邸。
大砲の皇帝
1586年に鋳造。口径890mm、重さ40t。
一度も発砲されたことはない。
前に置かれた弾丸は飾り、1箇1t。
あの子たちも見学しています。
旧元老院
さあ、クレムリンともお別れです。
ボロヴィツカヤ塔から出ます。
右側が武器庫。
午後はクレムリン入場見学は中止されていました。
知らずに来た観光客が数人途方にくれていました。
外へ出ました。
出た角。
モスクワ川の中州の先端に建つピョートル大帝記念碑。
モスクワ850周年記念に1997年に完成。
ウエディング・ケーキのどれか。
外務省?
文化人アパート。
交通混雑。
ボリショイ劇場
革命広場
ボリショイ劇場を抱えた劇場広場の道路を挟んで、マルクス像が道路に面する革命広場がある。
マルクス像。
赤い建物は考古学博物館かな?
革命広場の賑わい。
左から緑の尖塔のヴァスクレセンスキー門と赤い考古学博物館、そして色鮮やかなカザン聖母聖堂。
この後ろにクレムリンが広がる。
ヴァスクレセンスキー門。
歴史博物館と考古学博物館を繋ぐ。
もともと17世紀に建てられたが、パレードなどに邪魔だとスターリンにより1931年取り壊された。
1995年に再建。
ロシア全土の道路の起点とされている。
カザン聖母聖堂。
1612年、ポーランド軍侵攻を食い止めた記念に建てられた。
所以は、9歳の少女の夢に3回現われた聖母のお告げ通りカザンの廃墟の下で聖母のイコンがみつかった。
このイコンの前で祈ったミーニンとポジャルスキー率いるロシア義勇軍がポーランド軍を破ったことで信仰を集めた。
このイコンは現在はサンクトペテルブルグのカザン聖堂にある。
が、これもスターリンの命で1936年破壊。
1993年に再建。ソ連崩壊後ロシア正教会復権でモスクワで最初に再建された。
グム百貨店
グムとはロシア語の国立百貨店の頭文字をとったもの。
1921年にレーニンの命で開設。
現在の建物は1893年に建てられた工場を1953年に大改造したもの。
3階建てで吹き抜け。明るい雰囲気。でもロシア語しか通じまーん。
赤の広場を挟んで、クレムリンと面している。
赤の広場
案の定、中にはいることは中止。
スパスカヤ塔
ロシア連邦大統領府を背景に、スパスカヤ塔、レーニン廟そしてニコリスカヤ塔。
ポクロフスキー聖堂
1560年モンゴルへの戦勝を記念してイワン雷帝により建設。
イワン雷帝に強い影響を与えたワシリー修道士にちなみ「ワシリー寺院」と呼ばれる。
玉ねぎ屋根の一つ一つがそれぞれ教会となっている。
出来上がった美しさに驚いたイワン大帝は設計者二人ポストニクとバルマの目をくりぬいて、二度とこのような美しいたてものができないようにしてしまった!
グム百貨店側から入るのか、式典に列席するのか軍人らしき列。
右側がグム百貨店。
小さく真ん中に写っている青銅像がみえますか。
モスクワをポーランドから救ったミーニン(商人)とポジャルスキー(ズスータリ大公)の像。
1812年に建てられた。
レーニン廟
クレムリンの外、赤の広場の中央にある。
[海外旅行記]
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