『ローマ亡き後の地中海世界 海賊、そして海軍 2』 塩野七生 新潮文庫 490円+税
塩野七生のイタリア歴史文学のどつぼに填まりつつある。
未知の中世地中海世界の歴史物語り、読んでいてわくわくしてくる。
世相は相変わらずでは、イスラム教徒の海賊行が続いている。
そこへ1016年ノルマン人騎士たちはパレスティーナ巡礼の帰り、軍を持たないやられっぱなしの南イタリア人から、ビザンチンやサラセンを追い払いここの支配者になってくれともちかけられる。
南イタリアとシチリアにノルマン王朝が起こる。
北部フランスのノルマンディー地方に本拠をもつこのノルマン人は、この50年後に「ノルマン・コンクエスト」でイギリスを征服する。
そして南イタリア、特にシチリアでは、相互不可侵協定が成立し、イスラム教徒とキリスト教徒とのいわば共存(地中海の奇跡)が成り立っていく。
依然キリスト教世界、特に北ヨーロッパからの聖地巡礼行は続く。そして聖地奪回のための「十字軍遠征」が1096年から200年にわたって起こる。第八次まであった。十字軍熱狂とは裏腹に、さんざんな敗北が殆どだった。
この十字軍は、あくまでも聖地奪回であった。
イスラムの聖戦(ジハード)を旗印の海賊行は少しも止まなかった。
彼らは、「不信のイヌ(キリスト教徒)」を虐殺・拉致奴隷化をしても聖戦なのだからかまわない。略奪し尽くした、富のない地からは人間を奪ってきた。有名人は避けて、無名の誰も助けに来ない人々を掠った。
イスラムの首長(アミール)が、略奪富の五分の一を納めさせていたのだ。
そして、「浴場」と呼ばれるキリスト教徒の奴隷の収容所が北アフリカに多くあり、鎖に繋がれ、過酷な荷役に出されていた。イスラム教に改宗したものは民家の奴隷となりいわば解放される。イスラム教徒同士は殺さないから。女性は全てイスラム教に改宗され性行為の相手にされた。イスラム教徒は異教徒とは性交しないから。
この名もなきキリスト教徒たちを救おうと立ち上がったのが、聖職者中心の「救出修道会」と、騎士中心の「救出騎士団」である。
「浴場」の悲惨な情報は、交易都市の船乗りなどから伝わっていた。見るに見かねて、救出に立ち上がるのである。
イスラム側は金が全て。身代金と引き替えに、修道士や騎士は身の危険をおかしてまで、200人、300人と危険な取引、航海を経て、息絶え絶えの奴隷と化した人々を連れて帰った。
金策は、主として民間からの寄付金だった。救出した人々をパリなどで多くの人々の前に見せて、寄付を募った。
1199年が「修道会」の第1回目。最後は「騎士団」の1779年、フランス革命はこの10年後に起こる。
この救出活動は5、600年続き、救出者は大まかに100万人以上だった。人を拉致してくれば救出金が手に入るという悪循環だ。無名の救出者の中には、後に『ドン・キホーテ』を書いたセルバンテスがいた。
現在、風光明媚な地中海に海賊はいない。
1830年にアルジェリアがフランスに植民地化されて以来だ。それまで、海賊行は盛んだったのである。
とまあ、イスラム教とキリスト教の争奪戦のそもそもがわかった。
特に、「浴場」とか「救出団体」の話しは初めて知り、如何に教科書で習う歴史が一部であるか、思い知った。
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