『鬼の研究』 馬場あき子 ちくま文庫 760円+税
能の鑑賞に連れて行って下さる方が、その日「井筒」などの鑑賞後の食事の席で、女性の恋慕の話しで涙が出るほどに美しいですねという話になり、これとは違って[葵上」の六条御息所もいいですねと続き、『鬼の研究』と言う本が面白い、生き霊、般若も結局は人間をあらわしているようですよ、とこの本を薦めて下さった。
成る程面白い。鬼を伝承民話や謡曲、能などから、民族学的文化的に、類型的歴史的に深く分析している。
読んでいてどんどん引き込まれていくほど、鬼とは興味深いものだ。その時代を反映した、<おに>とも<かみ>とも目される怨根や憤怒、雪辱などを抱えた弱者や敗者が出口を塞がれて怨霊と昇華されてできあがったようだ。
能「道成寺」、「葵上」などの鬼は大人になって知ったが、幼い頃絵本で読んだ「山姥」のはなしが、なぜお婆さんが一人で山に暮らしていて、通りかかった漁師の鯖を食べてしまうのか不思議でならなかったが、この話とて全国的に民話として、山や自然に住む自然信仰とでも言うべき意味合いがあったようだ。
現代に<鬼>は作用しうるかという命題を著者は掲げる。
王朝時代のゆるやかな統制の中世までに所序に形作られてきた反体制的哲学のはけ口としての生き生きとした鬼は、近世の過酷な封建幕藩体制ではその出現さえ許されなかった。かろうじて農耕行事の舞台に存在が認められ、歌舞の形式に埋もれた。
著者はいう、今日の機械化の激流の中で、衰弱していくほかない反逆の魂の危機を感ずると。日常という、この実り過ぎた飽和様式のなかで、眠りこけようとするものを醒ますべく、不思議に<鬼>は訴えてやまない、と。
1988年にこの本は出されている。20数年前に既に、精神、哲学をなくした機械化の激流をうれいている。流石だ。
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