大英博物館入館もこのツアーに参加した大いなる理由。
ロゼッタストーンを観るのが目的。
正面。
グレートコート
2003年の創設250週年記念に、国会議員が使う大英図書館のあった中央部にガラス天井の巨大ホールを造り、教育センターやカフェ、ショップなどにした。
直ぐにショップに目がいく。
博物館入り口。
ロゼッタストーンもさることながらここの展示品は、大英帝国の威力にものをいわせて世界各地を植民地開発していった、その各国から蒐集されたものが殆ど。勿論自国の遺跡からの発掘品も少しはあるが。古代のメソポタミア文明やエジプト文明、ギリシャ・ローマ文明、インド・中国などアジアのもの、中南米などなど、戦利品、盗品の展示と言われても仕方がないが、世界最大級のコレクションであることは確か。
博物館案内書の説明には、その地で保存ができていなかったため、英国の管理のもと、現在も安全に保管していると。
大きなお世話ともとれる。ならば、現地でしっかり保存する援助がいいのでは。
例えばロゼッタストーンは、ナポレオンが英仏戦争でエジプト遠征隊にたくさんの学者、考古学者を連れて行きエジプトのロゼッタ村で発見したもの。しかしイギリスに負けたのでイギリスの戦利品となった。ロゼッタストーンで、ヒエログラフ(エジプト象形文字)とデモティック(古代エジプト民衆文字)がシャンポリオンというフランス人により解読され、エジプト文明が解明されていったことはあまりにも有名。
是非はともかく、大英博物館は世界が遺跡発掘のブームの折、1759年、博物学者のハンス・ローン卿がコレクションを国に寄贈して始まり、以降、世界の植民地開発に伴い続々と収集品が運び込まれて形成された。
メソポタミア室
メソポタミア文明は、紀元前3000年頃、チグリス・ユーフラテス川間にシュメール人によりおこった。
古代アッシリア王国など都市国家。
王は神官でもあり神権政治を司る。
西アジア植民地戦争で入手。
たしか、アガサ・クリスティーの二番目の夫が考古学者で、ここらの発掘に携わっていてアガサも同行し、「メソポタミア殺人事件」や「ナイル殺人事件」を着想したはず。
アッシリアでは悪霊を城によせつけないために、人面有翼牡牛などの巨像を城門に供えていた。
正面では静止して見えるが横からは5本の足があり歩いているように見える。
紀元前9世紀のもの。
アッシリア王がライオン狩りをしている実に写実的なレリーフ。
紀元前9世紀のもの。
エジプト室
私がエジプトに行ったとき、エジプト人ガイドさんが各地を案内しながら、「ヨーロッパ人の泥棒たちがみんな盗んでいった」と、冗談めかして本気で悔しがっていた。
エジプト室入り口。
ギザにある大スフィンクスの顎髭。
イギリス軍が切り落としてきたといわれている。
因みに、このスフィンクスの鼻が欠けたのは、フランス軍が射撃の練習に的代わりにしたからとか。
アメンヘテプ3世の像の頭部。
像の側に落ちていたのであろう手。
たしかにエジプトの現地では、建物や巨像が次の王により倒されたり破壊されたりして、壊れたままになっているものが多い。
現在では、遺跡を拾って持ち帰るのは御法度となっている。どんなに小さな石ころでも。
当時は何百トンもあるものを何ヶ月もかけて、大きなものは切って英国に運んだ。
ラムセス2世像。
これがロゼッタ・ストーン
表側
後ろ側。
エジプト人はペットとして猫を可愛がった。
墓の埋葬品。カバのミニチュア。狩り用のブーメラン。
最古の男性のミイラ。
エジプトでミイラ作りが普及する前の墓から発掘された。毛髪が赤いことからジンジャーと呼ばれる。
紀元前3400年頃。今から5400年前?!!
ミイラの棺桶の蓋の群。普通横たえてあるものだ。異様。
ギリシャ・ローマ室
ギリシャ
1800年代初め、トルコ駐在英国大使エルギン卿が持ち帰ったもの。
パルテノン神殿の破風の部分。
ギリシャに行ったときも、この部分は大英博物館にあると説明されて怪訝なおももちがした。
女神アテネを中心に彫刻されている。
紀元前5世紀のもの。
パルテノン神殿を支えていた女神像。
ギリシャ時代の調度品。
装飾品。
ローマ
モザイク。
ポートランドの壺。
青い地のガラスに乳白色のガラスを重ね、絵柄に不必要な部分を削りとっている。
紀元前後のもの。
ウエッジウッドが陶磁器で現在に応用している。
この壺は1800年代、暴漢に粉々に割られた。それを寄せ集めて復元した。
サットン・フー室
1939年、イギリスのサフォーク州サットン・フーで発掘された、イギリス人の先祖ヴァイキングの巨船(ヴァイキングは墓として船に埋葬する習慣があった)
から出土した兜。
立派な埋蔵品がざくざくと出た。ヴァイキングの王の墓だった。
紀元7世紀頃のもの。
ロンチャイルド室
ロスチャイルド家の名宝。
めったに開いていないというロスチャイルド室が開いていたので入った。
それはそれは驚くほどの財宝。写真には納まりきれない。
さすが、世界の由緒あるユダヤ人金融家!!
世界の博物館を自慢している大英博物館。日本をどうみているか、見損なっているか。気に掛かり、案内書をみると、ありました!! 最上階の5階に。
行ってみました。三菱商事日本ギャラリーとなっていて、はにわ、能面、茶室から伊万里や茶器、そして日露戦争や第二次大戦下や後の生活、などなど、いろいろと展示されていた。
何人かの外国人が最上階までわざわざ足を運んでくれていて嬉しかった。
フリー・タイムは大英博物館のカフェで、それこそイギリスの誇るファート・フードのサンドウィッチとミネラル・ウォーターを。
流石サンドウィッチ発祥の地、たいへんに美味しいのだ。エビと野菜のサンドを選んだ。
サンドウィッチ伯爵が、トランプに忙しくて食事をしている暇がないので、下僕に申しつけてパンに具を挟んでもっってこさせたのがサンドウィッチのはじまりといわれていますね。
<読者からのコメント>
英国の旅 記録を楽しませていただいてます。田舎は田舎でそして 大英博物館は博物館で いずれも ザ・英国 を視てらしたんですね。ところで大英博物館は 館内展示物の写真撮影が可能なんですね。びっくりです。 海外で 博物館そんなに沢山見学したわけではありませんが さすが英国 太っ腹 ということなんでしょうか?
<お返事>
ご覧頂いて有り難うございます。
わたしもそれ程多くは観ていませんが、ドイツ・ベルリンのべルガモン博物館も、ギリシャ・アテネのアクロポリス博物館も、写真撮影はできました。ただし、フラッシュは焚かないでとのこと。その点、ビデオ撮影ですとフラッシュを焚かなくても奇麗に撮れていいですね。私は重たいので持参しませんが。
徒歩でナショナル・ギャラリーへ
ロンドンの街中。
街角の遊園地。
ナショナル・ギャラリーからトラファルガー広場を臨む。
従って、ネルソン提督の像は後ろから。
1805年、南スペインのトラファルガー沖で、ナポレオンのフランス艦隊を破ったが命を落とした英雄ネルソン提督を讃えた広場。
ナショナル・ギャラリー
ナショナル・ギャラリーは、1824年にギリシャ風の柱廊をもつ建物を完成、同年に銀行家ジョン・J・アンガースタインの所有絵画38点を国が買い取り、イギリス初の国立美術館とした。
絵画が主で、収蔵作品は膨大な数に達している。
ルネサンス期のイタリア絵画はもちろん、印象派なども充実している。
こちらは写真撮影は禁止。
* こうした国立博物館やギャラリーは入場無料で、何回でも出入りできる。
しかし一方、教会が入場料を取ることには驚いた。観光者だけが対象なのかも知れないが。お賽銭箱を蝋燭立ての側においてあるのが普通。教会は来る者は誰でも拒まずのはず。今日の教会はビジネス化したのか??!
ナショナル・ギャラリーから歩いて5分ほどのロンドン三越が集合場所。
日頃の鍛錬が足りないのか、午前中から長時間の立っての鑑賞で腰が張りはじめたので、腰痛をおこしてはいけないと寄り道をせず三越に直行した。
店のスツールにやっと腰掛けられた。
隣りに 、若いギャル風にしては少し落ち着いている3人組の日本女性に声をかけた。
「観光旅行ですか。どちらから」 だって日本の若い女性向けの旅情報誌を開いているから。
「語学留学でポーツマス(だったかな)に来ています!」
「英語を勉強してどうするの」
「先生になりたいです」(??) (漱石みたいにか!)
「学校の休みにフランスに行こうと思ってロンドンまで来たら、ユーロスターが故障で止まっているから困っちゃって」 (そう、今朝のテレビでやってましたね。大雪だとも)
「頑張ってね」と、ともかく励ました。
そして、郊外へバスで小一時間のホテルへ戻る。
[海外旅行記]
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