フランスの旅

海外旅行記

7日目(12/14)

モン・サン・ミッシェルの冬の夜明けは遅い。
島内のホテルの窓から。
陸に繋がる土手のライトが連なる。


モン・サン・ミッシェルからオンフルールへ
フランスの農場といわれるノルマンディー地方をおよそ200km、東に向かって2時間30分のドライブ。
これでフランスの庭とフランスの農場を走ったことになる。

オンフルールは、セーヌ川河口の印象派の画家たちが愛した風光明媚な、北フランス最古の港町。
(対岸のル・アーブル港は、フランソワ1世が1517年に開き東インド会社の貿易港として栄えた。)

旧ドック
印象派の画家達が多く描いたドック。
夏ともなると、海の対岸のイギリスからやってくる多数のヨットで埋め尽くされる。


辺りの旧道は細い。
両側は倉庫。いわゆるロフトで、レストランなどに改造されている。

ぐるりと廻ってまたドックに出てきました。


サント・カトリーヌ教会の裏手と鐘楼が中央に見える。

サント・カトリーヌ教会



百年戦争で破壊された石造りの教会跡に、15世紀、トゥークの森から切り出したカシワ材で船大工たちが建造した。
フランス最古にして最大の木造教会。
船底を逆さにしたようなユニークな天井。


内部。


セーヌ川に沿ってさらに東に90km、1時間30分、ルーアンへ。

ルーアン
ノルマンディー地方の中心都市。

ノートルダム大聖堂
1145年にガロ・ローマ時代の教会跡に建設されたが、1200年大火災に見舞われる。
ノルマンディー公でイギリス国王のジョン失地王の寄進で1250年に再建。以降16世紀まで増改築が成された。
印象派の画家クロード・モネはこの大聖堂の西正面ファサードを、陽の当たり具合を比べながら30枚強にも及ぶ絵画に描いている。



このファサード。

こちらが真正面。


クリスマスの観覧車が邪魔ですね。


内部。

サン・マクルー教会
大聖堂の左手、木組みの家々が残る通りの突き当たり。
15世紀建築。ゴシック・フランボワイヤン様式の傑作。


大時計
歩行者専用道に掲げられている。
16世紀のもの。

 

ジャンヌ・ダルク教会

1431年、この教会のある地で19歳のジャンヌ・ダルク宗教裁判にかけられ、魔女として火あぶりにされた。
1920年、百年戦争でイギリスからフランスを救ったとして聖人に列せられたが魔女の汚名はそのまま。
そのため、十字架は使えないのです。
1979年に教会が完成。


  

内部。

 

さて、日も暮れそうです。

今夜の宿泊地パリに向かいます。
およそ2時間のドライブです。

ここで吉報が入りました。
バリのホテルに全員の荷物が届いているとのこと!!!
パリの現地日本人スタッフが、スーツケースの名前と部屋番号とをしっかり確認したとのこと。
これで大安堵のため息でした。

我々はニースから転々と宿を移動していたので、しかもかなりの田舎も、荷物は2日か、3日遅れでニースに着いたのだが、われわれを追うことは止めて、またパリに返し、宿泊のホテルに届けさせたのでした。
添乗員さんは、ずーとエールフランスに連絡を入れて強力にプッシュし続けていました。
荷物を飛行機に預けた時に渡されるチケットが荷物の唯一の命綱です。荷物が出てくるまで大切に保管しておかなければなりませんね。

参加者の中には当然、特に旅慣れていなそうなひとは、パニックやら不平不満、不安に陥る寸前の人たちもいた。
添乗員に食ってかかっているひとも。
どんなツアーにも、パニックメーカーやトラブルメーカーはいるもの。
ある晩など、夕食の後みんなにミーティングを呼びかけて、添乗員さんに要求をつきつける場面も。
私は背が高いせいか目立ちます。発言を求められ、「添乗員さんはたいへんによくやってくれています。願わくば早く荷物の所在が明らかになればいいですね」と、添乗員さんを労い、穏やかに発言しました。
だってここで添乗員さんがぶち切れてしまったら大変なのですぞー。
そんな中、しっかりとして、バニックにも陥らない優れた添乗員さんでした。
添乗員さんだけが頼りなのです。
この程度で済んで何よりです。
添乗員さんに感謝、感謝。

パリのホテルに到着
部屋に入って、我が愛しのスーツケースが確かにあることを確認、再会にスーツケースにハグしました
よく頑張ってくれたね!

久々に絹のパジャマでゆっくり眠りました。

 

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