インドで二番目にお金持ちのビルラー財団が建てたヒンドゥー教寺院。
ビルラー寺院とも呼ぶ。
ナラヤンとは、ヴィシュヌ神の化身。ラクシュミーとは、その妃。両神を中心にヒンドゥー教の神々を祀っている。
古くから伝わる叙事詩「ラーマー・ヤナ」の場面も精巧に描かれている。
財団創設者ビルラー氏はガンジーを信奉していたので女性の地位向上にも尽力し、この寺院はどの宗教の人も受け入れている。
インドでは、ヒンドゥー教徒(人口の8割)とイスラム教徒との諍いが激しい。
イスラム教は13世紀にインドに入ってきて、ヒンドゥーと共存していた。
が、第二次大戦後、イスラム国家成立を望むムスリム連盟が、インドとは別にパキスタンとして独立。
その後も、インドとパキスタンはカシミール地方の帰属をめぐって対立している。
また、今日のイスラム教徒のテロ活動が影響してか、街中の特に寺院周辺の警備は物々しい。
激戦の第一次世界大戦で、イギリス軍の前にやられてイギリス軍を守り、さすれば独立させるとの約束で戦死していった兵士を弔うための門。
なのに独立させてくれなかったと、ガイドさんは恨む。
1929年建立。
無名戦士の慰霊塔。
鳥が飛んでいる。
鮮やかな緑の鸚鵡や幸運を運ぶという青い鳥など、番いでよく飛んでいる。
青い鳥はめったに見られない。私は一度見た!!
9万人にも及ぶ戦死兵の名前が、隊の名前と共に刻まれている門。
大統領府が真ん中に望める。
隊の名と戦死兵の名前が刻まれている。
こちらからは、無名戦士者の慰霊塔が臨める。
インド門を中心に伸びる通り。
周辺は官庁街。インド門から向こうの大統領府に通じるラージパト通り。
ニューデリーの整然とした都市計画が分かる。
インド最古のイスラム遺跡群
クトゥブ・ミナール記念塔
奴隷から立身しインド初のイスラム王朝(奴隷王朝)を建てたクトゥブデーン・アイバクが戦勝記念に1119年から建設。
次の王が完成させた。
ラール・コートの遺跡(多分これはヒンドゥー教の建物だった。イスラムに破壊された)
チャンドラヴァルマンの鉄柱
純度の高さ故、4世紀以来錆びずに建ち続けている。
何のための塔、分かっていない。
右側にある巨大な石の上にのって見た。高い! 何にでも乗ってみる。
当時のイスラム・モスク跡。
インド初のモスク、"クワットゥル・イスラム・モスク"。
"イスラムの力"を意味するこのモスクは、この宗教の通例として他の宗教寺院の廃墟(イスラムが破壊したもの)の石などを利用している。
1198年に完成。
塔の第一層の壁面にはアラビア文字でコーランが刻まれている。
インドの家庭訪問をして、アッサム茶でのチャイの作り方をみて、茹でたジャガイモや豆を小麦粉の皮で包んで揚げるインドのスナック、サモサをご馳走になって、インドの旅はこれでお仕舞い!!!
お疲れ様でした。
一路空港へ。
JALの搭乗口前。
デリー発 21:40 JL472
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