『ビルマの竪琴』の舞台になった古都バゴー
ヤンゴンに飛行機で戻り、それからバスの長旅で北東70kmにあるバゴーへ向かう。
そして、夕方、さらに東に150kmはありそうなチャイティーヨに向かうが、チャイティーヨ終着まではバスでは行けず、トラックの荷台に乗って行く。
ので、チャイティーヨで一泊出来る荷物を、朝からスーツケースから出して、別のリュックサックに入れ、手荷物にする。スーツケースはバスや飛行機に自動的に積まれたまま。スーツケースとは最後の日本に帰る空港までお別れとなる!!
飛行機の出発が1時間遅れとなり、朝の時間をゆっくりとできる。
ホテルの回りを散歩。
乾期に入り、南洋の花々が咲き誇る。
バンガロー
白い牛の置物
水路
ニャウンウー空港
バガンとはお別れ。
ニャウンウー発 9:40 YH910 (YH/AIR NUNAVUT)
ヤンゴン着 11:00
バスに乗り継ぎ、バゴーに向かう。
バゴーは、モン族の王都があった古都。ミャンマー史で最も古い記録に残るのがモン族。
モン族は、タイなど広く東南アジアに最初に北方から現われた民族。東南アジアで最初に仏教を取り入れた。今日に続く、華やかな(上部座仏教)小乗仏教だ。因みに日本に伝わったのは大乗仏教。
13〜16世紀に建てられた仏教遺跡
が復元されて多くある。
ヤンゴンからバスで2時間強。
バゴー
チャイプーン四面仏像
東西南北背中合わせに4体ある。
何故かミャンマーの仏像はみな大きい。
これは露座の上座仏だ。
爪がきれいに塗られている。
右手を膝の上に置き指を下に垂らしているのは、悪魔は地下に沈められたことを意味している。
この右手を下に垂らしている像を降魔座仏像という。
シュエターリャウン寝釈迦仏
『ビルマの竪琴』で、水島がいなくなってから皆で探して森の中で「埴生の宿」を合唱していると、近くから竪琴の伴奏が聞こえてくる。どこからかと見回すと、大きな寝釈迦像の腹の中かららしい、…というくだりがあるが、この寝釈迦仏がモデルだろう。
とにかく大きい。50mはある。そしてきれいだ。このように綺麗でありたいとの人々の願いなのだそうだ。
熱心に拝んでいる人々。ともかくミャンマーの人々は信仰心が厚い。そして、惜しみなく寄進する。
足裏(仏足石)には、108個の仏教の教えにまつわる事柄が印されている。
側面に、仏教の教えにまつわる絵がかかげられている。
昔の頃の絵。
シュエモードパゴダ
ミャンマー三大パゴダの一つ。
上部のものが崩れ落ちた現物。
さて、バゴーを出発して、3時間近くバスで走り、チャイティーヨの目的地近くに着いた。
これから、このトラックの荷台に乗って、40分、ゴールデンロックのあるチャイティーヨの頂上に行く!!!
われわれは貸し切りトラックだったのだが、一車線の急な山道を飛ばすこと飛ばすこと! 途中の上りと下りのすれ違い場所から、他のひとが数人乗り込んできた。とにかく、まるで上りも突っ走るジェットスターのようなもの! もう怖いの何のって、皆必死の形相。
これだけで、エネルギーを使い果たしてしまった。
777段の急階段といい、突っ走るジェットコースターといい、たいへんな苦行だ。
やっとのことで宿に着いた。
土間にリノリュウムが張ってある程度の部屋。一泊だから我慢しよう。だって、以前はトラックさえ通っておらず、急な坂道を信心のために歩いたのだろう。
夕食後、ライトアップされたゴールデンロックを見に行くという。
私は無理せずにキャンセルして休養をとることにした。明日の日の出を見に行けばいいだろう。
宿はゴールデンロックへの参道にあるので、観光者のみならずミャンマーの人々の参拝客での大賑わいが伝わってくる。
宿はここともう一軒のホテルしかない。ミャンマーの人々は泊まりがけ(といっても、茣蓙のような物を持参で寺院の中や道の角に寝泊まりしている)で参拝に訪れている人々も多い。
[海外旅行記]
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