1461年、コンスタンチノープルを征服したメフメット2世が建てた。
増築を重ね、幾度もの火災にあい、現在のものは1954年の火災の後に再建されたもの。
「町の中のもう一つの町」といわれる。
5000以上の店舗と2000以上の工房、銀行、モスクなどがある。
ヌルオスマニエ門
内部。
朝一番のため、客もまだ少ない。
378年、ヴァレンス皇帝が建てた。
旧市街のアタチュルク通りにかかっている。
建設当時1000mあり、今日800m残っている。
地下宮殿への水も、ここから通ってきた。
金角湾河口近くにかかり、新・旧市街を結ぶ。
朝だというのに、両側にぎっしりと釣り人たち。
鰯のような魚が次々に釣れる。
新市街にある。
最初の搭は5〜6世紀には建てられていた。
現在のものは、1338年にジェノヴァ人移民が城塞の見張り搭として建てた。
オスマン時代は監獄だったり天文台だったりした。
現在は展望台。
ガラタ搭からの展望。
ボスボラス海峡方面。
カラキョイ・フェリー乗り場に、超豪華客船が2隻着いている。
ボスボラス海峡を新市街方向から望む。
旧市街を望む。
ガラタ橋。
橋より右手は金角湾になる。
左手はボスボラス海峡。
ドルマバフチェ宮殿。
ここは、宮殿の船着場。
ボズホラス海峡に佇む「水の宮殿」とも呼ばれる。
トプカプ宮殿が時代遅れで手狭になったため、アブドゥル・メジト1世が1859年に完成させた。
1923年からは、共和国政府施設となり、アタチュルクもイスタンブールではここに滞在。アタチュルクの終焉の地。
大砲工場(?)
工科大学(?)
士官学校(?)
アシア・サイトの第2ボスボラス大橋の周辺の別荘群。
パシャらの別荘だったものもあり、現在では一軒数十億円は下らない最高級別荘地。
メリル・ヒサール。
1452年、メフメット2世は、難攻不落のコンスタンチノープルを攻略するため1万人の労働者と1000人の石職人を働かせ、4ヶ月で築いた要塞。
結果、海上封鎖に成功。ビザンチン軍は撃退された。
第3大橋。
石川島播磨が建設した。
漁船。
ボスボラス海峡。
18:00 発 TK050 にて
空路成田直行便にて。
11時間30分の飛行。
アタチュルク航空の出国検査。
魔よけの目玉がしっかりと見張ってくれている。
飛行機への搭乗通路から。
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