トルコの旅 10日間

第8日目 イスタンブール

アジア側にあるチャナッカレから、ダーダネルス海峡をフェリーで渡り、ヨーロッパ大陸側をマルマラ海沿いに、一路東方イスタンブールに向かうこと、5時間。

ダーダネルス海峡をヨーロッパ側に向かう。

ヨーロッパ側に着く。

ダーダネルス海峡ボスボラス海峡の間にあるマルマラ海

沖をタンカーのようなものがゆく。

トイレ休憩地で一休み。マルマラ海を望む。

またひたすらバスは走る。

沿道には、自生の深紅のボピー、菜の花のような黄色の花、ラベンダーのような紫の花、などが綺麗に咲き乱れている。

 

イスターブールの街中に入る。

アヤ・ソフィアやブルー・モスクの遠景。

 

ドネル・ケバブ。

羊肉を重ねて筒状にし、オーブンでじゅうじゅう焼いて、縦にそいで供してくれる。

ケバブとは焼肉の意。

シシ・ケバブとは羊のもも肉を串刺しにして、炭火で焼いたもの。

 

ブルー・モスクかな。

尖塔が6本ありそうだから。

これはなんだったかな?

ブルー・モスクかな、アヤ・ソフィアかな。はたまた違うモスクかな。

 

これは、オリエント急行の終着駅であるイスタンブール駅

 

ヒポドゥローム

ブルー・モスク西側に広がる広場はローマ時代の競馬場址

コンスタンチヌス1世ら皇帝のゆかりの地で、歴史的にも最も古く重要な場所。

現在、オベリスクが3本残っている。

このオベリスクは、エジプトのトトメス3世が紀元前15世紀にアメン大神殿に建てたもの。

390年に皇帝テオドシウス1世がコンスタンチノープルに運んだ。

原型は60mあったが、運ぶ途中で壊れて、上部20mだけがここに据えられた。

 

ブルー・モスク

正式な名は、スルタンアフメット・ジャミイ

内部の青いイズニック・タイルの美しさから、ブルー・モスクと愛称される。

1609年にアフメット1世により建造。

世界で唯一尖塔が6本ある。

正面?

入り口近くの側面。

 

モスクの中。

女性はこの二階でしか拝めない。

大ドームが4つの半円ドームで囲まれた、芸術的にも美しいドーム。

ステンドグラスは複製。

 

絨毯1枚が一人の祈りの場。

 

女性は後ろの隅の囲いでも祈れる。

 

中二階の女性の礼拝の場に残る17世紀のイズニック・タイル装飾。

このブルーが愛称の所以。

タイルには、チューリップ、カーネーション、糸杉などが描かれている。

このタイルは昔のまま。

 

側壁。

 

 

アヤ・ソフィア

アヤ・ソフィアとは「神聖なる叡智」を意するイスラム語。
元はハギア・ソフィアとラテン語で名づけられた。

最初の聖堂は、360年にコンスタンチヌス2世によって、コンスタンチノープル宗主教会として建てられた。その後、騒乱で2度破壊される。

現在の聖堂は、東ローマ帝国のユスチィニアヌス大帝によって、「ソロモンの神殿より立派に」との命により537年に完成。聖母子に捧げられた。

557年の地震で大ドームが崩れ、8〜9世紀の聖像破壊運動でモザイク壁画が破壊され、1204年には第4次十字軍の略奪を受け、聖堂は荒れていく。

1453年、コンスタンチノープルを征服したオスマン帝国のメフメト2世は、ここで直ちにイスラムの金曜礼拝をおこない、キリスト教の聖堂はイスラム教のモスクに改められ、イスラム教の偶像崇拝禁止に従い、モザイクは漆喰で塗り隠され、代わりにイスラム装飾が施された。

街に広く礼拝を呼びかける(エザーン)ための尖塔(ミナレット)も建てられた。ここは4本である。

1934年、トルコ共和国となって、アタチュルクはアヤ・ソフィアを博物館して開放。漆喰が取り除かれ、モザイクが蘇った。

建物は、縦77m、横71m、高さは大ドームが56mと、ローマのサン・ピエトロ、ミラノのドゥオモ、ロンドンのセント・ポールに次いで、世界で4番目の大きさとなる。

 

ブルー・モスクから歩いて直ぐ。

尖塔。

側壁。

入り口

庭の隅にスイラムの女性と子供たち。

 

内に入場。

拝廊と右側が皇帝の門への扉。

皇帝の門の上にある、皇帝に祝福を与えるイエスのモザイク壁画
皇帝とは、制作当時9世紀末の皇帝レオ6世。

 

拝廊、皇帝の門入り口手前にある、聖母子に、右側のローマ帝国コンスタンチヌス大帝がコンスタンチノープルの都市を、左側のユスティニアス大帝がハギア・ソフィアを献上しているモザイク壁画

 

ドーム内部。一部修復中。

ドームの上部。回廊の柱にはイスラム教による大きな円盤が6つ掲げられている。

文字は、唯一神アッラー、預言者ムハンマドなどと書かれている。

ドームは、大ドームによる40個の窓から明かりがさしている。

 

回廊。

回廊に対で置かれた「ベルガマの壷」。清めの水か入っていた。

ペルガモン遺跡の神殿址の大理石で造られている。

 

 

説教壇(ミンバル)

モスク改修後に付け加えられた施設。

オスマン彫刻の傑作。

 

キリスト教の聖所だったところをオスマン彫刻の仕切りで事務所にしている。

 

テラスへ

階上席(テラス)。中二階の回廊。

ビザンチン時代には、皇帝家族や政府要人が礼拝する場所だった。

モスクになってからは、女性の礼拝場であった。

テラスからドームを見下ろす。

 

ギャラリー

テラスの南回廊は、皇帝の部屋があったとされ、素晴らしいモザイクが漆喰の痕から現れた。

ディーシス(請願)

左側は人類を救うよう請願するマリア。中央のキリストは、超然とした表情の奥に悲しみをたたえている。右側はヨハネ。

世界でもっとも素晴らしいモザイクの一つ。

 

聖母子と皇帝家族。

聖母子と皇帝ヨアンネス2世と皇后イレーネ。

そして、右側角に息子のアレクシス。

 

キリストと女帝ゾエ夫妻

 

聖母子のモザイク。

後陣の半円トームに描かれている。

泉亭(イスラム教のモスクには、必ずある、身を清めるための水道)

1728年に建てられた。ロココ調。

 

出口

 

遠足で来たらしい小学生たち。たいへんと人懐っこい。取り囲まれて、しばしたいへんだった。

 

地下宮殿(イェレバタン・サライ)

地下貯水施設のこと。

あたかも宮殿の如くに、円柱が336本立ち並ぶ。

この貯水槽は、6世紀ユスティニアヌス1世の時に再建されたもの。

水は、黒海に近いベオグラードの森の水源から、約20kmにわたって引かれた。

1987年から一般公開。

ここで、映画007「ロシアより愛を込めて」が撮影された。

上の階にロシア大使館がある設定で、ショーン・コネリーは秘密の通路からここに脱出し、ボートで逃げる。

撮影当時は、もっと2〜3mも上まで水が溜まっていた。

 

メドーサの首が2つ発見された。

基石として、一つは逆さに、一つは横向きにつかわれている。

 

 

トプカプ宮殿

トプカプとは、トルコ語で大砲の門という意。

征服王メフメット2世によって1467年に建てられた、オスマン・トルコ歴代スルタンの宮殿。

代々増築を重ねたが、1856年、アブドゥネメジット1世が宮殿をドルマバフチェに移すと、閉鎖された。

1924年、アタチュルクによって博物館として公開されるようになった。

入り口付近。

皇帝の門。

 

中に入って、建物の入り口。表敬の門。

ここから馬に乗ったまま入れるのはスルタンだけで、他高官たちもみな徒歩で宮殿内に入った。

入り口に置かれた宮殿の全体模型。

入り口の壁面装飾。

 

第2庭園に入って、ハレムを望む。

ハレムの反対に面した、厨房棟

現在は陶磁器展示室や厨房道具展示室のある外壁。

当時の厨房の模様図が壁の上部に掲げてある。

宮廷に働く4000人とスルタン一家の食をまかなって、800人が働いていた。

 

銀器展示室の展示品。

 

幸福の門。

スルタン一家の私的スペースである第3庭園に通じる門。

式典には幸福の門の前に玉座が置かれた。

ここがその址。

その天井。

 

幸福の門の中に入ると、謁見の館がある。

代理石の柱廊がめぐらされている。

 

謁見の間入り口。

入り口の右横にある手洗い場は、会議中は声が聞こえないように、水を流しっぱなしにした。

謁見の間のドア。

開かない。

窓から覗くだけ。

 

第3庭園

ハレムを望む。

たしか、アフメット3世の図書館

庭園には樹齢何百年という大木が繁っている。

宝物館の前。

宝物館の中には、盗賊が狙いそうな御物、宝物でいっぱい。

世界最大級のダイヤ、これも世界最大のエメラルド3個で飾られた「トプカピの短刀」などなど。

陶磁器展示室には、有田焼などが展示。

展示品の有田と表示されているのは、白濁した地に鮮やかな絵。多分柿右衛門であろう。

明日、日本に帰国する。帰国した夜、第十四代柿右衛門さんとお会いする会がある。いいお土産話が出来た。

 

宮殿北側の大理石のテラス

ここから見晴らしは最高。

宮殿の名の由来、大砲の門の意が分かる気がする。

 

ドルマバフチェ宮殿。(多分)

最後のスルタンの宮殿。

 

横出入り口。

壁に段差があるのは、高いほうの中はハレムになっている。

 

オリエント急行の終着駅。イスタンブール駅。

ホテルへの帰途、また撮れた。

 

 

コンラッド・ホテル泊。

 

[第7日目]← →[第9日目]

NewChibaProject