エジプト悠久の旅
早朝、アスワンへ飛ぶ。
カイロ空港アスワン行き搭乗口で、突然大合唱が始まった。学生の一団かと振り向くと、年配者の方が多い。次から次へと歌いついでゆく。
聞けばポルトガル人の団体旅行者たちらしい。ファドだか何だか、民謡風な歌をソロや合唱で歌いあげる。陽気でこの団結心。今の日本人に全く欠けているものである。
(アスワン空港)
アスワン空港に到着。
灼熱の地といったところ。朝から40゜C !
昔からあるアスワン小ダムを通って、オベリスクの採掘場へ。
真ん中の島に、明日見学するイシス神殿が移築されている。
アスワン周辺は古代オベリスクや神殿に用いる花崗岩の産地。ナイル増水時に船で各地に運ばれた。
石切場に切りかけの巨大なオベリスクが放置されている。長さ42m、重さ1267tと推定。ひびが入ってしまったために止めたとみられる。ハトシェプスト女王時代のものか。完成すれば最大のものになったはず。つまり、ハトシェプスト女王が作りかけたのだろう。
ナセル湖に水没したヌビア地方の遺跡や、ヌビア民族の生活を展示してある。アブシンベル神殿やイシス神殿などの本来の場所なども模型で示されている。
<オールド・カタラクト・ホテル>
近くに、作家アガサ・クリスティーが宿泊し「ナイルに死す」を執筆したホテル、カタラクトがある。この裏側の下を、狭い急流で渦潮が見られるナイル川が流れている。カタラクトとは急流という意。ナイル川からもこのホテルがよく見える。
空路、砂嵐のように霞む砂漠の中を流れるナイル川を見下ろしながら、さらに南のアブシンベルへ飛ぶ。
(アブシンベル空港)
アブシンベルに到着。
アブシンベル大神殿と小神殿は少し離れた隣り合わせに、一つのドームを造られてそこに並んで移築されている。像の高さは10mほど。
(大神殿)
(小神殿)
新王朝時代第19王朝ラムセス2世により紀元前1250年頃建設される。大神殿は王自身の、そして小神殿は最愛の王妃ネフェルターリのために建てられた。
小神殿のなかのネフェルターリを描いたレリーフの美しいこと。カメラ撮影は禁止。
* <ラムセス2世に関しての小説>
『太陽の王 ラムセス』 全5巻 クリスチャン・ジャック著 角川文庫
ラムセス2世の治世を歴史学者の著者が史実を膨らまし、大スペクタクル・ロマン小説に仕上げていて、どんどんのめり込んで止められなくなる。トロイ戦争で逃れてきたヘレンを匿ったり、ホメロスが逗留していたり、モーゼの脱エジプトがあったり。勿論ヒッタイトとのカディシュの闘いは壮絶。エジプト通には必読書である。
アブシンベル神殿は長年の砂に埋もれていた。19世紀にイタリア人が発掘。
しかしその後1960年代アスワンハイダム建設にあたり、ナイル川を堰きとめて広大なナセル湖ができ、このあたりのヌビア地方一帯が湖の底に埋没した。遺跡の幾つかはユネスコの協力のもと、上地に引き揚げられる保存工事が行われた。アブシンベル神殿もそれらの一つ。
アブシンベル神殿の前に広がるナセル湖。南側はスーダン国境に、北側はアスワンまで広がる。
わたしも40年ほど前に、この遺跡復元工事の寄付をユネスコにしたことを思い出した。
大小両神殿に入館できるが、撮影は禁止。
夜の神殿に映し出される音と光の幻想的な古代王朝絵巻は必見。不思議な素晴らしさに酔いしれること確実。思わず日本の電通でもかんでいるのかしらと詮索したくなる。実際はイタリアとフランスの会社の合作らしい。
ラムセス2世の父王の名が付いているセティ・ホテルに泊る。
以降、毎晩一泊で宿が変わる。
(幾つもの棟に分かれている)
(部屋のベランダからナイル川を見下ろす。)
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