トルコの旅 10日間

第3日目 ハットゥシャ、カッパドキア

サフランボールから、トルコ中央部を南下してアンカラを経由、そこから少し東方に走ってハットウシャへ

約425km。バスで5時間の旅。

 

バスの窓から、広大なアナトリア高原を見晴るかす。

 

昼食時、トルココーヒーで占い。勿論大吉とする!

 

ハットゥシャ遺跡

紀元前1800年頃、この地アナトリアを支配したヒッタイト帝国の都だったところ。

エジプトのラムセス二世もなかなかここが攻略できなかった。

ヒッタイト民族は紀元前1200年頃に滅ぶ。

1906年ドイツの発掘隊により発見。

1986年世界遺産に登録。

<ボアズカレ>

トルコ語で「峡谷の城」の意。

遺跡は2つの谷に挟まれた丘の斜面に広がっている。

谷間や断崖、山の尾根しいった自然の城砦を利用し6kmの城壁があった。

大神殿址

日干し煉瓦の建築だったため現在は石の基礎部分しかのこっていない。

中庭を囲む聖所と多数の小部屋、その外側を穀物などを貯蔵する大甕が置かれた倉庫が80余りあった。

ライオン門

内側から。

外側。

悪霊を町にいれないための魔よけ。

城門は二重になっている。

スフィンクスの門  (レプリカ)

遺跡の最も高いところにあり、ハットゥシャが一望できる。

 

大地門(イエル・カプ)

スフィンクス門の真下にあり、兵士の通用の地下道となっている。

真っ暗。

出口。兵士はここから突撃した。

ピラミッドのように石が積み上げられた城壁。

 

王の門 

戦死の像が等身大に彫られていて、最初これを王とみなしたためその名がついた。

レプリカ。本物はアナトリア文明博物館に展示されている。

雨のため、バスの中からの見学。

大城塞

雨のためこれもバスから見学。

ここはヒッタイトのアクロポリス。都市機能が集中していた。

2階建ての王室文書館から1万枚に及ぶ粘土板文書が発見された。

その中に、紀元前1269年エジプトのラムセス2世とヒッタイト王ハットゥシリシュ3世とが結んだ講和条約の文が解読された。同じ内容のものがエジプトのカルナック神殿で発見されていた

 

<ヤズルカヤ>

トルコ語で「碑文のある岩場」の意。

ボアズカレから直ぐのところにある。

紀元前13世紀に造られた神殿の跡。

当時も乾燥していたアナトリアでは雨を掌る天候神テシュプが最高神だった。その神を祀った神殿だが、完成後数十年でヒッタイト王国は滅んだ。

 

 

大通廊(大ギャラリー)

入り口で12人の守護神が護衛。

短いズボンをはいた男神を従えた主神テシュプと、スカートをはいた配偶神ヘバトが左右から歩み寄り、壁面奥で出会っている。

 

小ギャラリー

遺跡向かって右側。

やはり12人の守護神が行列している。

 

 

一路南下して、中央アナトリア地方のほぼ中央に位置するキッパドキアへ210kmのバスの旅。3時間。

麦畑が続く。

 

<カッパドキア到着>

車窓にカッパドキアらしい風景が展開しはじまる。

宿泊ホテルの駐車場からみたカッパドキアの街。

カッパドキア泊。

 

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